日本の博物館は世界を目指すべきなのか?

財務省の広報誌『ファイナンス』2022年3月号に「日本の美術館・博物館の発展に向けて」という記事が掲載されていました。「経済トレンド」を取り上げた見開き2ページの連載記事のようです。

www.mof.go.jp

短い記事ですが、いろいろ気になるところがあったので、検討していきたいと思います。

日本の美術館・博物館の現状?

この記事では「The Art Newspaper」誌が調査した『世界で最も来場者数の多かった展覧会ランキング(2019年)』と、『世界で最も来場者数の多かった美術館・博物館ランキング(2019年)』の結果をもとに、「日本は『来場者数の多かった展覧会ランキング』の常連なのに『年間の来場者数ランキング』に入ることができないのは、企画展が行われていない時に来場者が少ない=常設展を目当てに来館する人が少ないからだ」と分析しています。

国際的に見れば日本は美術館・博物館を利用する人が多い国であるようです。ですが、その利用者の多くは新聞社等が主催する「企画展」を目当てに施設を訪れている人たちのようです。

民間企業が企画した展覧会に人が集まっても、美術館・博物館が収集した資料を展示する常設展に人が入らない現状について、記事では「日本の美術館・博物館が法律で求められた役割を果たせているとは言い難い」と指摘し、改善策として「美術館・博物館が作品の収集活動を強化して、常設作品を充実させること」を提案しています。

 

(参考)ARTnews JAPANの「ルーブルが世界一を死守~2021年の美術館入館者数ランキング、英紙が発表」という記事に2021年版の入場者数ランキングと2019年の「1日あたり入場者数で世界トップ20に入った日本での展覧会」のデータが掲載されています。

この記事で言いたいことは何か?

記事の主題を私なりに整理すると、

  • 日本人は美術展を好んで鑑賞するが、日本の美術館・博物館は『世界で最も来場者数の多かった美術館・博物館ランキング』にランクインできていないのは、企画展が行われていない期間に集客できていないからである
  • 他所から借りてきた作品を展示している企画展に人が集まり、博物館の資料が展示されている常設展に人が入らないのは「所蔵品に魅力がないから」
  • 美術品の「公的購入」と企業や美術コレクターからの「寄贈」で魅力的な所蔵品を増やし、広報活動に力を入れれば常設展の来場者が増える
  • 来場者を増加させれば日本の美術館・博物館も世界的観光地にできる

といったことが挙げられそうですが、本当にこれが日本の美術館・博物館の「発展に必要な施策」と言えるのでしょうか?

記事のタイトルに異議あり

タイトルでは「日本の美術館・博物館の発展」とありますが、記事を読むと「世界との比較」や「集客力をもった大型企画展」の話題が中心です。そのため、この記事が対象としている「日本の美術館・博物館」とは、東京か大都市に所在する国立博物館および大型施設であることが推定されます。

ルーブル美術館をはじめとする「年間入場者数ランキング」上位の施設はいずれも展示面積が5万㎡を超えるものばかりです。日本で最も大きい博物館といえば、東京国立博物館になりますが、それでも展示面積は18500㎥程度しかありません。文化庁の「博物館総合サイト」では「日本の典型的な博物館の姿」というモデルデータを紹介していますが、それによると日本の典型的な博物館の建物延べ床面積は1337㎥であり、世界規模の来場者数を受け入れられる施設はほとんどありません。

さらに、資料の所蔵数も検討しなくてはなりません。東京国立博物館の所蔵品数は約12万件ですが、入場者数ランキング1位のルーブル美術館は48万点を超え、世界最大規模の収蔵品数を誇る大英博物館は800万点にものぼります。

そうした規模の大きな博物館に関わる話題を論点にしている本記事のタイトルの主語が「日本の美術館・博物館」だとすると、ほとんどの日本の博物館は話題の対象外となってしまうため、このタイトルの主語は不適切に感じます。

この記事の筆者が言いたいことが「世界的に集客力のある博物館を日本にもつくることを目指したい」ということであれば、タイトルもそのように変更した方が良いでしょう。

資料の受け入れ体制はできているのか?

この記事では、常設展を充実させる方法として資料の「公的購入」とコレクターや企業からの「寄贈」をあげています。特に、コレクターの方々が老後や死後を考えた時に「自身が持つコレクションを美術館・博物館へ寄贈する」という選択肢は大いに考えられることです。ですが、先ごろの国立科学博物館クラウドファンディングでも話題になった通り、多くの博物館では資料の保管・維持に問題を抱えています。科博もそうですが、すでに寄贈の申し出を断らざるを得ない博物館もあるようです。

また、資料を受け入れるということは「所蔵したら終わり」ではなく、その後も保存していくことになります。そして、保存するためには適切な保存環境を維持し続けなくてはなりません。たとえエネルギー危機で電気代が高騰しようとも、収蔵庫や展示室の空調を止めることはできません。一度資料を受け入れればその後も経費はかかり続けるのです。もし、資料を増やして常設展を充実させることを博物館発展の方策とするのであれば、国は各施設の資料保存の取り組みに対して継続的に予算をつけてくれるというのでしょうか?

さらに、資料を受け入れたらその調査・研究も必要です。その施設の専門分野において、受け入れた資料がどのような価値を持っており、意義があるのかを解説してこそ「日本の美術館・博物館が法律で求められている役割」を果たすことになります。そうなると、資料の保存に加え、資料の研究や教育活動の取り組みにも注力しなければなりません。

「収蔵品を増やして来館者を増やそう」と言っても、博物館に「もの」を増やせば膨大なコストがかかり、新たな業務が発生します。記事の筆者はそこまで想像してこのアイデアを提案しているのかいささか疑問です。

企画展の集客力はマスコミの力である

美術館・博物館の来場者数増加に向けては、常設展の充実に加えて「広報体制の強化」も必要だとしています。その理由は、引用されたアンケートで「どのような展覧会を訪問したいか」の問いに対し「チラシ・ポスターが魅力的(チラシ・ポスターを見て魅力的だと思った展覧会*1)」と回答した人が多いから、ということです。

…ここまで「常設展の充実」の話だったのに、引用のアンケートが「どのような展覧会を訪問したいか」という企画展の話になってしまっているのはどういうことなのでしょうか…?

 

企画展の話で言えば、確かに来場者数が多かった展覧会のチラシ・ポスターはどれも魅力的であっただろうことは想像に難くありません。

ですが、実際にはテレビや新聞などのメディアで盛んに展覧会の「広告」を目にする機会があったから興味を持ったのではないでしょうか。もちろんチラシ・ポスターもPR会社が企画した上で腕のいいデザイナーが作成しており、それも含めて集客力のある企画展は「マスメディアのプロがお金をかけて宣伝している」のです。

時々「SNSでバズれば…」などと考える人もいますが、いわゆるブロックバスター*2型の企画展はそうしたことをアテにせず、イベントとして注目されそうな企画を立て、広報活動にお金をかけてマスメディアの力を存分に利用しているからこそ、安定して来場者数を稼いでいるのです。引用のアンケートに「マスメディアで特集されている」(19%)という項目がランクインしていることも、ひとつの証左でしょう。

ただ、このやり方は「日本人の集客」に対して大変有効に機能していることは言えても、「外国人観光客の集客」に貢献しているかどうかはわかりません。(統計データなどあるのでしょうか。)

 

ということで、この記事でいうところの「広報体制の強化」についてはちょっとよくわかりませんでしたが、美術館・博物館の施設自体をPRする活動は必要だろうと思います。ただ、広報活動の専門家ではない公務員や事務職員、学芸員がお金をかけずに広報を行って成果を出すのは難しいのではないでしょうか。

国は本気で「世界的に集客力のある博物館」をつくるつもりがあるのか?

素人目に見てもこの記事の内容は「博物館に関心のない人が考えた安直なアイデア」でしかないと思いますが、結論ではこれらの方策を持って日本の美術館・博物館に対し「日本の観光名所として博物館の役割を拡大させること」を期待しているようです。

私個人としては、日本の博物館が世界を目指すべきかどうかという話題について関心はない(どっちでもいい)ですが、世界を目指すとするならば、まずは東京国立博物館を世界に知られる存在にすることぐらいしかアイデアが思いつきません。規模や立地、取り扱う資料の分野、質、量を考えれば、日本の博物館のシンボル的存在になり得る施設はやはり東博かなと思います。ただ、それを実現するとなれば国は東博に相当の予算や人員、労力をかける必要があるでしょう。「博物館が勝手にがんばってくれて、いつの間にか世界ランキングにランクインしてくれればいいのになー」なんて、都合のいい話はありません。

かつて「観光マインドがない学芸員はがん」などという政治家の発言がありましたが、あれから数年が経ち、日本のエリートとされる役人が書いたこの記事の内容を見るに、相変わらず政治に関わる人たちは博物館行政について何も学んでいないのだな、と呆れてしまいました。

*1:アート東京/芸術と創造「日本のアート産業市場調査2020」より

*2:1 新聞・雑誌・放送などのマスメディアを動員し、集中的に展開する大がかりな広告戦略。2 巨額の宣伝費を投入して、意図的に超ベストセラーをつくり出すやり方のこと。3 巨額な製作費・宣伝費を投入した野心的な超大作映画。出典:小学館デジタル大辞泉

博物館の収蔵庫不足問題

今年の夏に国立科学博物館が実施したクラウドファンディングは、収蔵品の維持管理にかかる経費(収蔵庫の温湿度管理にかかる電気代や新しい収蔵庫建設など)を主な目的として呼びかけられました。現在、科博では500万点を超える資料を収集しているものの、収蔵スペースが不足して新規の寄贈が受けられないほどになっているそうです。

また、同様の問題は科博以外の博物館や研究施設でも起こっており、東京大学の研究施設である小石川植物園における植物標本を管理する設備の老朽化が話題になった他、収蔵庫不足問題は全国各地の博物館で課題となっています。

(以下関連記事)

www3.nhk.or.jp

news.tv-asahi.co.jp

president.jp

上記のプレジデントの記事によれば、日本には5700以上の博物館*1があり、その多くは高度成長期やバブル時代に設置されました。それから時が経ち、現在ではそうした博物館の多くで施設の老朽化や収蔵スペース不足が起こっているということです。

 

施設の老朽化や収蔵庫の問題は科博だけの問題ではない

高度成長期やバブル時代に造られたのは博物館だけではありません。市役所や図書館、学校など、多くの公共施設も同時期に造られました。そのため、この十数年は全国各地で公共施設の建て替えが相次いでいることと思います。私の地元でも、多くの公共施設が建て替えや改修がされているのを目の当たりにしています。そういう意味では、これは博物館に限った問題ではなさそうです。

また、博物館の資料が増えて、所蔵品が収蔵スペースに入りきらなくなっている問題についても同様です。博物館の使命として「博物館資料を豊富に収集*2」することがあるならば、設置から何十年と経てば、自館で購入したものや市民等からの寄贈など、様々な経緯で所蔵品が増加しているはずです。さらに、現代の高齢化社会においては、個人で所有する貴重な資料や芸術作品などを博物館に寄贈したいと考える高齢世代やその家族が増えることも考えられます。そうしたときに、博物館が「収蔵スペースがないから」といって断れば、貴重な資料が失われることにもなりかねません。

この科博のクラウドファンディングは、こうした事態が日本全国で同時多発的に起こっている状況を一般市民に伝える役割を果たしたと思います。これをきっかけに、博物館を所管する国や自治体には、博物館資料の保存環境に関する対策をしてもらいたいものです。

*1:うち、博物館法に規定される館は1300ほどとのこと。文化庁博物館総合サイトより

*2:「博物館法」第一章 第三条 一

「博物館資料を守る」のは誰の役目なのか? 

今年の夏に国立科学博物館が実施したクラウドファンディングは大きな話題を呼びました。

readyfor.jp

科博の窮状を知った多くの人々から支援が集まり、最終的には9億円もの金額になりました。

ですが、このクラウドファンディングに疑問を持つ人も多くいました。なぜなら、このクラウドファンディングの目的は、国の施設である科博の「資料収集の経費や資料保存の維持費」を募るためのものだったからです。

このニュースを見て「博物館資料の保存にかかる経費を国が出さないなんておかしいのではないか?」と思ったので、博物館の社会的役割について、考えてみることにしました。

 

「資料の収集・保存」は博物館の役目ではないのか?

博物館といえば「古くて貴重な資料を保存する場所」というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、実際のところ、日本の法律で「博物館が収集する資料の取り扱い」を規定する記述はあるのでしょうか。

そもそも、日本の博物館は「博物館法」という法律のもとに設置されています。ここでいう博物館施設の目的は、「社会教育法」と「文化芸術基本法」の精神に基づき、「資料の収集・保管をし、資料の研究と展示をして一般市民の利用に供する」というものになります。つまり「資料の収集、保存、研究、展示」の4つの活動が博物館事業の柱といえそうです。

 

ところが、「博物館法」第一章 第三条を見ると、ある疑問が浮かび上がってきます。まずは、実際の条文を見てみましょう。

(博物館の事業)
第三条 博物館は、前条第一項に規定する目的を達成するため、おおむね次に掲げる事業を行う。
 実物、標本、模写、模型、文献、図表、写真、フィルム、レコード等の博物館資料を豊富に収集し、保管し、及び展示すること。
 分館を設置し、又は博物館資料を当該博物館外で展示すること。
 博物館資料に係る電磁的記録を作成し、公開すること。
 一般公衆に対して、博物館資料の利用に関し必要な説明、助言、指導等を行い、又は研究室、実験室、工作室、図書室等を設置してこれを利用させること。
 博物館資料に関する専門的、技術的な調査研究を行うこと。
 博物館資料の保管及び展示等に関する技術的研究を行うこと。
 博物館資料に関する案内書、解説書、目録、図録、年報、調査研究の報告書等を作成し、及び頒布すること。
 博物館資料に関する講演会、講習会、映写会、研究会等を主催し、及びその開催を援助すること。
 当該博物館の所在地又はその周辺にある文化財保護法(昭和二十五年法律第二百十四号)の適用を受ける文化財について、解説書又は目録を作成する等一般公衆の当該文化財の利用の便を図ること。
 社会教育における学習の機会を利用して行つた学習の成果を活用して行う教育活動その他の活動の機会を提供し、及びその提供を奨励すること。
十一 学芸員その他の博物館の事業に従事する人材の養成及び研修を行うこと。
十二 学校、図書館、研究所、公民館等の教育、学術又は文化に関する諸施設と協力し、その活動を援助すること。

これをさらに簡単にしてみると…

  1. 資料の収集、保管、展示
  2. 分館や他の施設での資料展示
  3. 資料のデジタルデータの作成と公開
  4. 利用者に資料の解説をして、自習スペースを提供する
  5. 資料の研究
  6. 資料保存の研究、展示活動の研究
  7. 資料の解説書や展覧会図録、年報などの作成
  8. 資料に関する講演会やイベントの実施
  9. 地元の文化財*1の解説書を作成して、市民が文化財を鑑賞できるよう協力する
  10. 教育普及活動
  11. 学芸員などの人材育成
  12. 学校、図書館、研究所、公民館等への活動協力

このように解釈してみましたが、いかがでしょうか。

 

たしかに、「資料の収集、保管」は博物館の事業として規定されています。しかしながら、その資料を「どの程度の数を、どのように、いつまで保管するのか」という部分については規定がありません。

この法律の文面を見る限り、日本の博物館には「歴史的な資料を後世に伝えるために、資料を守りつづける」という明確な使命はない、というのが実際のところだと言えるでしょう。

 

近年の財務省文化庁等の政府機関の資料を調べると「博物館が自力で歳入を増やすこと」や「博物館を観光資源として活用すること」といった話題はよく見かけるのですが、「歴史的資料の保存をどうするか」という話題はまるで見当たりません。

それでも科博がこのようなクラウドファンディングを行ったのは、所属する研究者の方たちの「歴史的資料や研究成果を後世に残し伝えていきたい」という思いがあったからなのでしょう。

8億円突破の科博クラファン。大成功の裏で館長が語る、日本の課題「国家の意志の違い」 | Business Insider Japan」という記事で、科博の篠田謙一館長がこう述べています。

私個人は、国立科学博物館として二つの重要な機能があると考えています。

 

一つは科学と技術の一般向けの教育機関としての役割。もう一つは、研究機関としての役割です。研究機関としての最大のミッションは、研究すること以上に「物を集め、先へ(未来)伝えていく」ということ。それが科博の一番の眼目(重要なこと)なんだろうと考えています。

 

私は学生時代に学芸員資格課程を学んで以来、博物館こそが歴史的資料の保存を担う存在だと思っていたので、こうした心ある博物館や研究者が日本に存在することにホッとした気持ちがあります。そして、これを機に日本全国の博物館で収集された資料をみんなで保存していこうという機運が高まることを祈っています。

*1:文化財保護法」は、歴史上、学術上価値があると判断された文化財文部科学大臣が指定し、法律のもとに保護するというものです。これによって国などから保存・保護のための支援を受けることができますが、保存活動の主体は所有者・管理団体にあります。